AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

NAGPRA, UNDRIP, そして、アイヌ遺骨・副葬品の返還①

 今年の初夢ではないが、最近考えたことがある。私がもし新聞とか雑誌の記者だったら、政策推進作業部会の篠田氏や検討部会の落合氏にインタビューして記事にしてみたいと。落合氏は、北海道旧土人保護法の立法意図は正しかったが、その結果が「最悪」だったと講演で主張したことで、その歴史認識に批判が集中した*1。もし、「オチが最悪」とならずに、同氏が意図は正しかったと主張した旧土人保護法が意図通りの結果をもたらしていたとしたら、今日彼はそれをどう評価して語るのだろうか。歴史の「タラ、レバ」の話をしても仕方がないが、もう一つ、今とこれからの話。アイヌ政策の検討部会の共同座長となっている同氏は、アイヌ遺骨・副葬品の「慰霊・研究施設」への集約と研究材料化をどう考えているのだろうか。そして、アイヌ遺骨の再埋葬に反対している篠田氏には、杵臼での再埋葬をどのような気持ちで見ていたのか、見ずにいたと言うのであれば、政策推進作業部会などで聞いて、どんな感想を抱いたのだろうか。

 2014年8月の北海道アイヌ協会主催による記念事業のシンポジウム「アイヌ人骨の返還・慰霊のあり方 先住民族の人権─責任と公益─」で、国立科学博物館人類研究部長(当時)の篠田謙一氏は次のように述べている。参加者からの質問への回答であったが、同氏の前に発言した北大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文氏の発言への反応も含まれていた。(下線と太字による強調は、後の参照のために私が行なっている。)

アメリカ、オーストラリアは再埋葬をしていく、ということで、これはぁ、人類学者にしては、まあ私としては信じられない話、なんですけれども。というのはですね、結局、再埋葬というのは元に状態に戻す、というんですね。ということは、元の状態に戻してもいいことしか、やってこなかったということです、研究者として。お墓を掘って、そこから出てきたものを研究したこと自体が、遺族の子孫に当たる人にとって何の意味もなかったから、そういう話になっていくんだと思うんですね。元に戻してもいいんだ、と。

で、実際はですね、人類学者、考古学者が世界でやってきたことで、私たちは過去の自分たちの成り立ちであるとか社会であるとか生活であるとか、かなりいろんなことが分かってきたはずなんですね。それを、先住民に限って全く還元しない形でやってきた時代があって、それが今の状態を生んでいる、ということを感じました。それはまあ、過去に対して非常に、私たちとしてはまあ、反省しなければいけない問題なんだろうというふうに思います。

(略)強圧をかけて「この遺骨を返せ」ということをどんどんやり始めると、「もう適当でいいから返してしまえ」という話になるかも知れません。「もう数だけ合わせて返せばそれでいいじゃない」、埋めてしまって「もう責任は取りました」というのが、どうも私は、アメリカやオーストラリアのやり方のような気がします

 政治的な決着というのはじつはそこなんじゃないかなと思います。(略)もしも遺骨を埋葬して、二度とアクセスできない形にしてしまうことをやった時に、未来が被る損害、「あの当時の人間は何をやったのか」「あの時代の人類学者は何を考えてこんなことをしたんだろう」といわれる責任を、私たちを負わなければ何(ママ)ないんだろうと思うんですね。

 さらに、このシンポジウムより3年以上前の2011年1月27日に開催されたアイヌ政策推進会議の第10回「民族共生の象徴となる空間作業部会」で篠田氏は遺骨の再埋葬に反対する理由を次のように述べており、上のシンポジウムでの発言は、その間に遺骨の再埋葬に対する同氏の考え方がまったく変わっていなかったことを示している。

アメリカのように遺骨を再埋葬してしまえば、100年後に先住民族のルーツが歴史の中で消えていくおそれさえある。アメリカの例は、現状のみに目を奪われて将来について考えないことが問題であると思う。アイヌ人骨の研究成果が、アイヌの人たちや国民に還元されるために、50年、100年保管が可能な状態が必要。これはアイヌ協会と同じ考え方。*2

 また、2010年10月の北海道新聞記事*3に登場していた瀬口典子氏は、帰国後の赴任先の大学の機関誌/雑誌でNAGPRAに関して次のように、アイヌ遺骨の返還・再埋葬に反対する見解を表明していた。

(略)アメリカではNAGPRA により先住民の遺骨はつぎつぎと返還され、新しい技術を応用して研究する機会は残念ながら失われつつあります。
 この問題はアメリカだけの話ではありません。日本でも過去に倫理的に問題のある遺骨収集が行われてきました。現在、先住民族アイヌの遺骨返還が求められており、人類学者は返還要求に対して、またアイヌ民族に対しても、真摯な対応を迫られています。もし返還だけでなく、研究が許されるのならば、アイヌ民族により貢献できる研究を考えていかなければならない重要な時を迎えています。例えば、生物文化的・進化的アプローチで人骨を科学的に研究することによって、疾病と環境との関係、過去の健康状態を探ることから過去の社会的な不平等、民衆の生活の歴史を明らかすることはアイヌ民族の苦難の歴史を立証するためにも重要ではないかと思われます。また逆に、アイヌ民族の食生活は和人の食生活とは違ったために健康状態がよかった可能性もあるかもしれません。人骨資料がむやみに返還されてしまうと、人類学研究がその民族だけでなく、人類全体に貢献をする機会を失ってしまう可能性があります。アメリカ自然人類学会の失敗を繰り返さないためにも日本の人類学は日本先住民族少数民族と対話を続けて、遺骨に関わる様々な問題を解決していかなければならないでしょう。*4

 私は考古学や人類学の「専門家」ではなく、それぞれの学会誌や新刊書をまめに読んでいるわけではないので、他にももっと詳しく先住民族の遺骨の再埋葬について論じた書籍や論文があるのかもしれないが、今日のアイヌ政策の「慰霊と研究」施設の背後にあって、それを正当化している議論は、1990年(すなわちNAGPRA制定の年)に発行され、1999年に文庫化された片山一道『古人骨は語る――骨考古学ことはじめ』(京都市同朋舎出版)の終盤に書かれていることとほとんど同じように思われる。以下、読者の便宜も考慮して、「『古人骨標本の再埋葬の問題をめぐって』」で引用しておいた部分を一部省略して再掲する。

 近年、自分たちの祖先の遺骨とおぼしき古人骨*5を各地の博物館や大学の資料室から取り返して、自分たちのテリトリーに再埋葬しようとする運動が少数民族の人たちの間で盛んとなって、社会の注目を浴びるようになってきた。既に、オーストラリアでは原住民の古人骨が、さらにアメリカの一部の地域ではアメリカ・インディアンの古人骨が、その所有を主張する関係部族グループにそれぞれ返還されて、再埋葬とか、ときには焼却などの処置がとられている、と聞く。また、ニュージーランドではポリネシア人マオリ)の間で、日本ではアイヌの人たちの間でも、この種の動きがあるという。
(略)
 たとえ過去のある時期に一時的に支配者だった者たちが半ば略奪的にかすめとっていったものであるにせよ、単なる被害者意識のようなもので、博物館や大学の保管室から古人骨資料を奪い返して、再び大地に埋め戻したり、焼却したりするようなことがあるとしたら、結果的には祖先を知る手段を自ら絶つことになって、後世に後顧の憂いを残すことになるのではなかろうか。


 古人骨の還る場所
 条件さえ整えば、ヨーロッパやアメリカなど世界の各地に散らばっている古人骨資料はすべからく、しかるべき国とか少数民族のグループに返還されるのがよいであろう。いま述べたように、古人骨は二面性を持つものである。一つは、遠い祖先の残した唯一の形見として。そして、もう一つは、その祖先たちの様子をうかがうためのかけがえのない文化財としての意味をもつ。この二つの面を矛盾することなく解決するには、それらが本来あるべき場所に保管されるのがよいであろう。
 望ましい条件とは、それらが返還されるべき場所に、安置するにふさわしい十分な設備があって、保管能力をもった担当者が存在することである。各地の研究者たちがそれらを調査したいときには、研究に供されるべき適切な便宜と、十分な配慮が払われることも必要である。博物館の一部でもよい、あるいは何らかの研究所でもよい。もし、そういうものがまだ存在しなければ、当事国や国連などの関係機関*6がしかるべき施設を設立しなければならないだろう。そして、その後に返還されるべきである。
 古人骨の研究には、これだけのことが完了したから、それですべてはおしまいといった終止符はない。今のところは、これぐらいのことしか解らないと言っても、将来新たな視点から見れば、別なことが解るかもしれない。また、将来新しい別の古人骨標本が見つかって、その比較資料として大いに役立つかもわからない。*7
 しかし、ひとまず検査が終った後に、個体識別用の番号だけが残されて、ほこりを被ったままでただ放置されているとしたら、あるいは客見せの陳列品かなにかのようにズラーと並べられているだけだとしたら、当の古人骨を祖先の一員に数える人たちは許さないだろう。形質人類学者を含む先史学の関係研究者は皆、この問題を真摯に受け止めなければならない。取りうる道は一つ。現代の科学の中でかかる古人骨を再生すべく最大限の努力を払い続けることだろう。先史古代人に関わる最大限の情報を引き出すべく奮闘を惜しまないことだろう。そしてさらに、可能な限りその成果を広く世に知らしめる努力を怠ってはならない。*8
 いかなる民族といえども、死者となった祖先に対しては最大限の敬意を払うと同時に、祖先のことをもっともっと知りたいと思うのが人情だろう。祖先のことを知るには古人骨が一番だ、という主旨のもとに、本書を展開してきたつもりである。もう一度繰り返そう。古人骨は、私たちの祖先が私たちに残してくれた文化遺産である。誰のものでもない*9、人類が全体として共有すべき、かけがえのない古文化財なのである。そして、そこから得られる先史古代人に関する知識は、人類共有の財産にしなければならないことは言うまでもない。


(片山一道『古人骨は語る――骨考古学ことはじめ』、京都市同朋舎出版、1990年、192-196ページ)

 プレビューのみのつもりだったけれど・・・。ここまでは、おさらいである。

<続く>

*1:関連報道は、こちら

*2:同作業部会の「議事概要」、3ページ。また、本ブログの「『大間違い』の遺骨返還の展開――アメリカの事例」で取り上げたことがあるので、参照されたい。

*3:「慰霊と研究の両立という世論作り?―アイヌの遺骨をめぐって」を参照されたい。

*4:瀬口典子「私の研究分野、生物人類学」, Crossover, No. 33(March 2013), pp. 2-3(引用は3ページより)。この発言は、「NAGPRA(先住アメリカ人墳墓保護・返還法) 3題」でも引用したことがある。

*5:引用者注:人類学者や考古学者が用いる「古人骨」という術語の曖昧さや、略奪されたアイヌ遺骨が「古人骨」なのかという政治的意味合いの問題などについては、「アイヌ民族の遺骨は『古人骨』か」をはじめとして、右の検索窓から「古人骨」で検索いただくと、本ブログ内の関連投稿が挙がってくる。

*6:引用者注:国連は「先住民族の権利」宣言によって返還するべき考えを表明したことは、周知の通りである。

*7:引用者注:すなわち、直前の「その後」とは永遠に来そうにない。

*8:引用者注:「ただ放置されて」きた遺骨に対して、何もしてこなかった、怠慢だった考古学者や人類学者が、いざ返還という声が出て来ると、急に責任を負うという話が出て来た。上記の篠田氏らの発言は、19世紀のアメリカの「白人の責務」論を思い起こさせる。

*9:引用者注:と言いながら、現状は「国有財産」とされ、科学者のものとして扱われている。