AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

NAGPRA, UNDRIP, そしてアイヌ遺骨・副葬品の返還②――NAGPRAという鏡(rev.)

 北国は猛吹雪で雪かきに追われているのだろう。こちらも今日は寒い。でもまだ雪は見ていない。(去年もこのように書いた途端に大雪が降ったからなー・・・)
 ここからは今夜noteに投稿するつもりでいたけれど、少しだけ時間が空いたので、途中までまたプレビューでお見せすることにした。いつ何が起きるか分からないし、そしてブログどころではなくなるかもしれないから。(翻訳部分は、全体の約4分の1くらい。)

 私が「『報告書(案)』を読む②」で「20数年前の亡霊たちがまだ跋扈している」と書いたのは、これらの発言が、アメリカの先住アメリカ人墳墓保護・返還法(NAGPRA)やその成立以前からの遺骨の再埋葬に激しく反対する議論を考古学関係の学術誌などで展開する一方で、政府や他の研究者仲間、研究機関などに遺骨の返還と再埋葬に反対する書簡を送るなど、精力的に活動していたClement W. Meighan*1という、今は故人となったアメリカの著名な考古学者を思い出さずにいられないからである。
 彼の代表的な議論は、現在、アメリカ考古学協会(Archaeological Institute of America)のwebサイトで公開されている1999年の「インディアンと考古学者」の中でのNAGPRAの影響に関する論争で読むことができる*2。一方、Meighanに反論して再埋葬とNAGPRAを支持したLarry J. Zimmerman(ラリー J. ズィマーマン)の論文も上記サイトで読むことができる*3。この2人を今日の日本の文脈に移し替えると、大雑把かもしれないが、Meighanが篠田氏で、Zimmermanが加藤(博文)氏という関係になるように思われる。
 順番としては、この2人を先に取り上げた方が分かりやすいのかもしれないが、私は、ここでこの2人の論文を訳出するなどという親切でお人好しなことをするつもりはない。後で時間が取れれば、必要箇所の要約くらいはするかもしれない。ここでは、ズィマーマンの上記論文にも登場している、すなわち考古学者や人類学者との協働に理解を示す、ポーニー インディアンのトライブの歴史研究者、ロジャー エコゥ-ホークの著作から、①の篠田氏や瀬口氏らの主張と対比されるべき数ページを訳出して参考に供することにする*4

☆NAGPRAという鏡(⇦これは、原文の見出しではなく、私がつけた見出し。以下の下線は、私が追加。)

 多くの考古学者とほとんどの自然人類学者は、インディアンのリーダーたちの[研究への]反対に非常に顕著に、そして一貫して現れていた宗教的観点に非常に素早く焦点を当てた。そして、問題に科学対宗教の問題として枠がはめられた。この焦点は、多くの考古学者と自然人類学者が文化的抑圧の重要問題葬送環境に対する社会的統制からのインディアンの排除を見過ごすか最小化することを奨励した。宗教的抗議が科学的調査研究の内容を指図するべきだという考えを学術界は拒絶するから、多くの学者たちは、インディアンが祖先の墓地の統制権を失った歴史的状況とのつながりのいかなる感覚からも自分たちを解放するために学問の自由という原則に依存した。学者たちにとって、インディアンの遺骨のコレクションの確立とキュレーションは、学問の自由の行使を象徴化することができた。その一方で、インディアンにとって、そのようなコレクションは強奪の引き続く歴史を意味した。
 生きているインディアンは、20世紀を通して、さまざまな学問領域に参加した。アメリカ社会で持続しながら、彼・彼女らの学問的アメリカとの関わりの拡張は、人類学と歴史学の分野に新たな変化をもたらしてきた。1980年代に、「ニュー ウェスト」の設計者たちは、歴史学者がインディアンをアメリカの世界において継続する存在として認めるための扉を開けた。この認識が歴史の分野で強くなるにつれて、その時代の考古学者たちもまた、先住アメリカ人の遺骨の再埋葬を主張するインディアンに直面することになった。学術界全体にわたってインディアンはもはや消滅することを予期されなかったが、学者たちは消えつつあるインディアンを長い間争って科学の精査に従わせてきた。そして今や、学者たち自身が生きているインディアンに精査されつつあった。

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先住アメリカ人からの何十年もの圧力に対応して、連邦議会は、1990年の先住アメリカ人墳墓保護・返還法(NAGPRA)を成立させた。(略)本質において、同法は、アメリカ社会におけるインディアンの活発な存在を承認して受け入れる継続する過程において助けとなってきた。
 一部の観察者はNAGPRAを生きているインディアンに対するより大きな責任(アカウンタビリティ)ヘ向けて必要な関係調節をもたらす重要な要因と見なしている一方で、他の者たちは、細かく徹底的に調べられない権威と拘束を受けない探究を失うことを大っぴらに嫌悪してきた。そして、彼・彼女らは、学問の自由への侵害を心配する。NAGPRAは学問の自由へのいかなる法律的な障害も包含していないが、歴史の知識を前進させる学者の能力に対する同法の影響は、学術界全体で大きな関心問題である――それに、多くの討論の題材でもある。
 考古学界の観察者たちは、彼・彼女たちの世界へのNAGPRAの影響の性格付けにおいて異なる。地質学から1つのイデオロギー的枠組みを借用すると、NAGPRAをインディアンとの関係の論理的かつ必然的な進展と見る人々は「斉一説(uniformitarian)」的視点を持っていると言われるかもしれないが、他方、「天変地異説(catastrophism)」が、科学と考古学に対するその影響を最も恐れている学者たちに対する有益なパラダイムを提供する。かくして、「アメリカ考古学協会会報」の最近号において、Terence Fifieldは、古代人遺骨の発見のNAGPRAの下での取り扱いにおいてインディアンと科学者の「真に心地よい協力精神」について好意的に報告しており、他方でアリゾナ州立大学のG. A. Clarkは、同会報の編集者に「NAGPRAは人骨の研究に関心をもつ考古学者、生物考古学者、および他の自然人類学者にとってまったくの大惨事である」と伝えている。
 この範囲の学界の意見とは対照的に、学者の努力に対するNAGPRAの影響について心配しているインディアンはほとんどいない。先住アメリカ人の間の意見は、インディアン コミュニティの文化的価値観に根本的に相反したままの堅固に固められた非インディアン体制にただ奉仕するだけという大っぴらな疑念だけでなく、同法を成功裡に履行することへの強い関心を反映している。一部のインディアンのリーダーたちにとって、学問の公然の非難は、部分的には、科学の拒絶に基づいているが、他方で、他のリーダーたちにとって、学術界に関する批判的視点は、重要な目的が学問によって満たされるという認識と共存する。事実、NAGPRAの成功裡の実行は、信頼できる学識へのアクセスに高度に依存している。
 歴史学者、考古学者、その他の学者たちの専門性への同法の依存を十分に受け入れてきたインディアンの返還プログラムはほとんどない。(略)従って、学者とその機関がトライブと協働して働くことを拒み、その上でNAGPRAが失敗した概念であると宣言することは、冷笑(シニシズム)の極みであろう

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人骨の取り扱いに関して、アメリカの学界体制には先住アメリカ人コミュニティの関心事に注意するという点でかなり惨めな記録があるが、非インディアンのアメリカ人は、公衆の感受性を害する行為に対して科学に責任を負わせるつもりである。例えば、ニューヨークで1780年代終盤に、白人のアメリカ人が医学生たちが自分たちの墓地から遺体を盗んでいることを発見した時、そこの市民が暴動を起こした。「反冒涜暴動」の結果として、科学は、生きている人々に疑う余地のない恩恵となる誠実な研究のための、白人アメリカ人の遺体の利用の制限と共存することを学んだ。州と連邦の両レベルでの「解剖諸法」の成立が、利害関心を有する研究者たちが自らの専門家としての行いにおいて公衆の感受性を無視しないことを確実にした。
 一方、アメリカ考古学の創立の父であるトマス ジェファソンは、モンティセロのインディアンの古墳の発掘の遂行においてどのインディアンとも相談することを怠った際に、重大かつ永続的なダブルスタンダードを作り出すことに寄与した。しかし、ヴァージニア州では暴動はなかった。その後の2世紀にわたって、学者たちはこのスタンダードを忠実に信奉することとなった。「反冒涜暴動」では、医者たちはニューヨーク市の至る所で命からがら逃げて、刑務所で難を避けた。対照的に、インディアンは今日、彼・彼女たちの死者への学者の利害関心の状況に対する変化の要求と立法的解決策の追求において、たいていの場合、著しく礼儀正しくあった。

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ここに続きの一部を収めてある。

*1:Meighanの正しい発音を知らないので、英語名をそのまま使用する。私の友人に同じ綴りのアメリカ人がいるが、その人はミーガンとメィガンの中間の発音だが、メイハン、ミーアンとも発音されるようで、因みに、Wikipediaではミーアンとなっているから、これが最も近いのかもしれない。

*2:他にも、「再埋葬に関する一部の学者の見解」と題する論文を1992年10月のAmerican Antiquityに発表している。先に「報告書(案)を読む②」で言及した「1980年代」に関して、この論文でも「過去20年」という記述があり、1980年代より前からの課題であることが分かる。

*3:彼もこの問題について精力的に発言しており、1989年発刊の書籍に所収されている「権力の象徴としての人骨」という興味深い論文もあり、それは「『権力の象徴としての人骨』(ラリー J. ズィマーマン)」で2年近く前に出典も含めて紹介したことがある

*4:今日、NAGPRAの影響に関する論文や書籍は多数あり、Google検索でも挙がってくる。