AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

ヘッセ『車輪の下』(rev.)

 昨日はある方のブログで、久しぶりに竹内浩三という詩人を思い出させてもらった。(こんなところでも替え詩を作っていたとは!)そこでは「飴」にも言及されていた。ちょうど一昨日あたりから、私も「飴」のことを考えながら、ヘッセの一節と解説の一節を思い出していた。(ヘルマン・ヘッセ車輪の下』、新潮社、1951年:使用版は、2008年の125刷。)

・・・・神学校の生徒は官費で生活し勉強することができる。そのかわり、政府は、生徒たちが特別な精神の子となるように配慮している。その精神によって彼らはのちになっても、いつでも神学校の生徒だったということが見分けられる。――それは一種の巧妙なしかも確実なしるしづけである。自発的な隷属の意味深い象徴である。ときとして脱走する乱暴者を除いては、シュヴァーベンの神学校生徒は一生その面影をはっきり残している。人間というものはなんとまちまちなものであろう。また人間のおいたった環境や境遇もどんなにまちまちなことであろう。それを政府は生徒たちについて、一種の精神的な制服、あるいははっぴ[「はっぴ」に傍点――by D.X.]によって合法的に根本的に等しくしてしまう。(pp. 69-70)

・・・・混迷を重ねたあげく、先生が禁物とする天才的な生徒は、十一ヵ月の高校生活に終止符を打った。・・・・
・・・十七歳でカルプの町工場の見習い工になった。秀才の神学校生は、同級生より遅れて、歯車みがきを始めた。肉体的に苦しく、精神的にも屈辱であったが、現実の生活は彼を鍛えた。肉体労働をしながら、自家の豊富な蔵書で世界の名作を読破した。詩人には自分の力でなるほか仕方のないことを悟ったのである。模索的な独学は身についた文学修業になった。危険な試行錯誤であったが、この痛烈な悲しい体験がヘッセを詩人にしたのである。新しいものを産み出す詩人の生まれ出ずる悩みが、人一倍大きいのは、避けがたいことであろう。(高橋健二「解説 ヘッセの生涯と作品」、p. 227)

Cf. 「暖炉とブルゴーニュの赤ワインと・・・」