AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

『痛みのペンリウク 囚われのアイヌ人骨』を読んで(2)(w/ P.S. X 7)

1)

わしが死んで
一一三年がたつ
墓を掘りかえされ
骨が
この場に
置かれて
八三年だ(pp. 90-91)

 113年と83年という2つの数字が何度か出てくる。最終報告書は未公開だが、「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書(案)」には、「研究の対象となる遺骨と副葬品」(pp. 6-7)という項目の下、「研究が行われる時点から見て三世代以内、すなわち概ね100年以内に埋葬された遺骨や副葬品」は研究対象とすることに倫理的問題があるとしている。他にも研究対象とできない基準が列挙されているが、このブログで何度も指摘してきたように、100年という区切りがいかに不適当かと思わざるを得ない。

2)「ペンリウクの遺骨について」(pp. 115-149)では著者が「四〇数年ぶり」(p. 117)にものを書く気になってからこの本を書くに至った経緯、ペンリウクさんの遺骨の返還についての北大との交渉に至る経緯、そして現在(今年2月)までの(中間)報告が収められている。
 実は、前の(1)を投稿後、続けて(2)を投稿するつもりでいたのだが、本書の刊行後、今日までに北大の遺骨返還室との交渉が行なわれているのかもしれないし、邪魔になるようなことは書きたくないと思い、(1)だけを出して中途半端なままにしておきたくなかったこともあって、(1)を引っ込めたのである。間接的に耳にするところでは、その後の進展は見られてなさそうである。いずれにせよ、以下は、あくまでも本書を読んでの個人的な感想文であり、想像を巡らせてみた結果であることをお断りしておく。

3)著者は、1973年に「アヌタリアイヌ我ら人間」という月刊新聞を創刊した方である。その頃のことを、このように述懐している。

 日本にいると、特に北海道にいるとアイヌの血をひいていることが悪いことでもあるかのような圧力があって、自由に思考を拡げられずにいた。(p. 119)

 残念なことに、40数年後の今、この「圧力」の状況は変わってなさそうである。ただ単に変わってないというより、むしろ悪化している面もある。
 しかし、著者が「アイヌ運動」に関わらなくなった頃の苦悩を綴っている2行は、身につまされて読み飛ばすことができない、深く考えさせられる文であり、この投稿の本論ではないが、どうしてもここに収めておきたいのである。

 それ[アイヌであることを隠したがる意識――D.X.補足]が本意でないとしても、そうしなければ生きられない状況があるのなら、そこを切り裂くようなことをしてはいけないように思えたのである。(p. 120)

4)さて、著者は昨年2月からペンリウクさんの遺骨に関する資料を集め、北大との話し合いに入ったそうである。それ以降の経緯が、123ページ以下に記されている。
 1回目の面談は、3月23日に行われたようである。この時、著者は一人で出向いたのかどうか分からないが、北大側は事務職員の3名を含む5名であった――組織の対応として良くあるパターンである。前に書いたけれど、なぜここに常本氏が出ていたのかわからない。副学長兼遺骨返還室長の代理としてなのか、アイヌ政策の「推進者」としてすべてを把握しておかねばならないと考えたからなのか、もしかしたら著者を前から知っていて、彼の存在が信用と安心感を与えると考えたからなのか。いずれにせよ、多分著者は、「常本さん、なんであなたがこの場にいるの?」とは問わなかったのだろう。
 そもそも、この時の面談は、そういう問いを投げかける必要のない雰囲気だったようである。北大側も、遺骨返還室の存在をPRできる好例として、この時は悪意のない「全員明るい対応」(p. 126)だったのだろう。この時点では、他の請求者がいない限り、遺骨は返還されるし、副葬品もあるとのことだった。
 後述の経過からこの時点を振り返ると、北大側はこの返還例を自らの努力の象徴とできると喜んでいたあまり、著者に「本当にペンリウクの遺骨か確認してほしいと念を押」される(p. 126)まで、最後の詰めの確認を怠っていたのではないだろうか――もちろんこれは、私の推測である。次の遺骨との面会時のやり取りから、それだけではない要素が入ってくる。

5)7月11日に著者はご家族4人で、遺骨と面会した。ここの記述の「頭蓋骨と少しの骨片」(p. 126)の「少しの骨片」というのが私は気になっている。どのくらいの大きさで、どのような状態のものなのか、なぜそれだけがそこにあるのか。もちろん、答えはわからない。
 この日、著者は遺骨がペンリウクさんのものに間違いないという「確信に満ちた」返事を貰っているが、副葬品はないということに変わっている。そして、これに反する北大関係者の証言を著者が得たことも記されている。(pp. 126-127)

6)約2カ月後の9月6日に、事態はさらに急変する。常本氏他から、遺骨を調べた結果、「ペンリウクさんの遺骨ではないという事がわかりました」と告げられる。ショックを受けた著者は、「パニックになり中座」したそうである。(pp. 127-128)
 常々、水も漏らさぬほどに慎重な法学者の常本氏としては、これには忸怩たる思いだったのではなかろうか。「返さないとは言いません、ただ・・・」。(p. 128)「ただ」何だったのだろうか。(まさか、「ただ、形質人類学者や分子人類学者たちがもっと精密な調査をさせろと言っているし、私の力ではどうにもならない、私を過大評価しないでくれ」なんて言葉を飲み込んだのではなかろうとは思うのだが、ただ・・・。)

7)そして著者には、9月28日付で北大アイヌ遺骨返還室から「学外の第三者によるご遺骨の鑑定について」という文書が、別紙の鑑定結果とともに送られてきたようである。(pp. 128-134)
 あー、なんと官僚的文書の空虚なことよ。約3週間後とはいえ、パニック状態で中座したという著者に、「時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます」だと! しかも、名前の順序から言って、新たな名前は事務職員のものと思われるが、この文書には室長の名も、常本氏の名もない、副室長の岡田氏を含む4名の名前だけである。これはなぜなのか。この第三者鑑定実施の責任は、誰が負っているのだろうか。文体などから判断して、これは多分、事務方が著した文書であろう。
 「別紙」には学内と学外の専門家(どちらも形質人類学者)の鑑定結果が収められている。誰なのだろうかと、すぐに下衆の勘ぐりを入れたくなる。頭蓋骨を遠方に搬送するということも考えにくいから、恐らく北大に容易に出向くことのできる「外部研究機関の専門家」だろうと推測される。つい数日前に別件で、北大と近辺の大学の形質人類学者も入っている「古代DNA」研究の論文を2本ほど確認したばかりである。そこには、札医大アイヌ遺骨のDNA研究を行っていたという2人も名を連ねていた。
 まず「学内の形質人類学の専門家」は、「別人である可能性があるという結果が得られ」たと報告している(p. 131)。そして「学外の形質人類学者」が、「ご遺骨の推定年齢を・・・コンピュータープログラムによって算出した結果、40代後半~70歳以上(前半)という結果が出ました」(p. 133)として――なんと精密なプログラムだこと。何というプログラムなのだろうか。間違っても、FBIが「人種プロファイリング」のために未だに使っているという1960年代の時代遅れのものではないよな――「今回の鑑定では、現段階でご遺骨がペンリウク氏のものであるかどうかの判定を決定することができないため、さらに詳細かつ総合的な観点から判定する必要があるという結論となりました」(p. 133)と報告。ほら、来た来た、「科学的」(かつ官僚的)な結論である。ここから北大は、「引き続き・・・検証を継続することに」して、「3次元計測」などを行うと著者に伝えている。結果が出るまでに「2カ月ほどかかる」と9月28日に書かれているが、その後の三上返還室長からの12月6日付書簡にはまだ「・・・精緻に計測するための3次元計測をおこなって」いると書かれていた。
 もう結果は出ているのだろうが、そもそも、「ご来学頂きました際にご説明いたしました、外部研究機関の専門家によるご遺骨の鑑定を実施いたしました」(p. 129)とあるが、これは私の推測に過ぎないが、ただ一方的に「説明」しただけではないのか? 十分な説明を行って、著者が落ち着いた環境で考える余裕を与えられて、その上でその「鑑定」とやらに同意したのであろうか?
 後ろの疑問への答えは、否である。著者は10月10日付の返還室への質問の中で、「ただ口頭で説明しただけのことに私への侮辱であると感じました」(p. 135)と述べている。

「調査」したという
書類一枚示さずに
なんという侮蔑か
たとえ書類があったとて
おまえたちを立ち会わせたわけでもない
そんなものの
何を信じられようか
(p. 86)

P.S.:「別紙」鑑定結果報告の「4.今後について」では、遺骨は個人が特定されたアイヌ遺骨一覧から外されるが、今後の検証結果は著者に知らせると記されている。
 厳密に考えれば、ここにアイヌ総合政策室が推進している遺骨返還ガイドラインの矛盾と破綻が見えている*1
 さらに、こうした状況で研究者と研究機関の優位も歴然としている。遺骨を請求する側が「第三者」を選ぶ権利を明確にすることで、この状況を打開せねばなるまい。

8)著者は10月10日の書簡で、ペンリウクさんの遺骨が北大に存在するに至った経緯、7月11日までの北大見解の根拠、遺骨が別人のものであるなら本当のペンリウクの遺骨の所在、など4点を問うている。
 10月25日付の三上室長からの回答は、またもや「時下ますます・・・」の空しい決まり文句で始まる。(これは、この後も、11月15日に著者が「体調を崩し、寝たり起きたりの状態が続いて」いたと書いていても(p. 141)、12月6日の返信は「時下ますます・・・」の同じ挨拶文で始まるのである(p. 145)。これは三上氏が差出人となっているが、9月28日の書簡以上に、事務方が用意した文書という気がしてならない。)
 三上室長の回答は、1936年の『時事新報』や1971年の『北海道医学雑誌』の記述に依拠する北大の「調査報告書」しか資料はないとしながら、遺骨が「寄贈」であったという根拠とし、一方でペンリウクさんの遺骨がどこにあるかの資料はないため、所在を明確にすることはできないと述べている(pp. 137-139)。元々の「調査報告書」は、依拠している2つの資料を精査したのだろうか。当時の新聞や当事者側の雑誌に「盗掘」とか「収奪」という表現が使われようはずがない。特に『北海道医学雑誌』の言うところの「提供」が、反証をもっているわけではないが、何の強圧や忖度もなしに行なわれたと信じることも難しい。さらには、所在を明確にするための資料がないというのも、北大がその人材を総動員して探した結果とも思えない。
 三上室長の回答には一つ、興味深い表現がある。

 本学といたしましては、お預かりしているご遺骨を確実にご遺族にお返しすることを心から願っており、またご遺骨の尊厳ある慰霊にも繋がるものと考えております・・・。(p. 140)

 遺骨を所有しているのではなく、「お預かりしている」という言葉が誠実なものであることを願う。預かっているものであれば、すべてを誠実に返すべきものである。(⇒Cf. 「貸与中のDNA」「遺骨・DNA研究と先住民族――人体組織は誰のものか」)そしてまたこれは、「慰霊と研究」の施設に移管することが「尊厳ある慰霊」としている政府と北海道アイヌ協会の考え方とも異なるようにも思える。ところが、12月6日付の三上室長の書簡には、「『平取1』の3次元計測の結果、ペンリウク氏のご遺骨であると判明した場合」は返すことになるとしながらも、その次の段落では、「本学といたしましては、お預かりしているご遺骨を確実にご遺族にお返しすることを心から願っております」と同じ言葉を述べながら、それに続けて「また、身元がわからないご遺骨については、今後開設予定の『民族共生象徴空間』に設置される慰霊施設への集約や、現在検討がなされている地域への返還を含めた国の取組に協力してまいります」(pp. 145-146)という具合に、「判明」しなかった場合は「象徴空間」行きとなる可能性があることを示唆している。そこには、ペンリウクの遺骨を捜すという意思の表明がないだけでなく、10月25日の書簡には、「本学といたしましては」の文の直前に、「『平取1』がペンリウクのご遺骨でないとの検証結果が得られた場合、『平取1』については個人が特定できないご遺骨となり、今後地域にお返しする可能性を求め行くこととなります」(p. 140)としか述べておらず、「象徴空間」の言葉は一言も出ていないのである。
 こうした経緯から著者は、北大側の実際の姿勢を肌で敏感に感じ取っているかのようである。三上室長の書簡に対する著者の11月15日付返信書簡には、このように綴られている。

 『ご遺骨の尊厳ある慰霊』とお書きになっておりますが、全くそらぞらしく聞こえてなりません。尊厳を踏みにじられてきた遺骨に対して、遺族の一人として涙を禁じ得ません。(p. 141)

 昨日、遠藤周作『真昼の悪魔』(新潮社、1984年、1992年19刷)を読み終えた。最後のところから一節だけ。

 ウッサン神父は咽喉もとにこみあげてきた吐き気を怺(こら)えた。巧妙な理屈。その巧妙な理屈はその上、人間にたいする善の定義をひそかに覆している。善を質で測ろうとせず、量で測ろうとしている。愛のかわりに効果だけしか考えていなかった。
(p. 234)

P.S. #2:読み直していて、2)の中の「想像を巡らせてみた結果」ということをまだ書いてなかったと気づいた。これもまた後日になる。 ⇒P.S. #3(05.15, 13:45):ペンリウクさんの遺骨が掘り出された際の「提供」に関して2つのシナリオを考えていたのであるが、やはり今書くのは控えておくことにする。

P.S. #4(05.16, 0:50):過日報道され、この記事で言及した札幌医科大学でのアイヌ遺骨のDNA研究のことを考え、第5回アイヌ政策有識者懇談会以降の流れを振り返っていると*2、無性に腹だしくなってくる。有識者懇談会や政策推進会議などで北海道アイヌ協会の「幹部」のものとも篠田謙一氏のものとも区別がつきにくい発言によって、札医大での取り組みをモデルとして既成事実化しようとしていた魂胆が明瞭に見えてくるからである。

 札幌医科大学のイチャルパ、供養祭と言いますが、遺骨の返還、更にはDNAのレベルでのアイヌ古人骨による研究申し入れについての話し合いなど、取組は進めてきているところです。これらの取組は、不当な方法で収集されたアイヌの人骨の返還などに関わる先住民族の権利に関する国連宣言第12条の具体的な取組でもあると思っています。

 この問題に関しては、「北大開示文書研究会は、今月中旬に札医大と面会し、質問と要望書を持参します。その後に記者会見も行う予定」とのことなので、今これ以上書くことは差し控えておく。

P.S. #5(05.16, 16:00):P.S. #4に書いている北大開示文書研究会と札幌医科大学の遺骨返還室との話し合いは、今日だったみたいである。

P.S. #6(05.17, 15:15):昨日に比べると、今日のアクセスは激減だ。それも悪くない。
 いま取り組んでいるある論文の翻訳――他人の論文の翻訳は要らないとも言われているのだが――に、このようなくだりがある。遺骨の研究に関してではなく、先住民族の別の資源のDNA研究に関してのものなのであるが、アイヌ遺骨などの人体組織研究にも言えることだろうと感じている。

先住民族の知識体系に対するより大きな脅威は、このデータが示唆するところでは、内なる知的植民地主義である。

・・・先住民族がその批判的および法的な活動のもっと多くを大学と学会に集中させるべきであるという結論を避けることは困難である。

P.S. #7(05.18):It's time for a showdown!

*1:ここはもう少し敷衍したいところであるが、今夜はもう時間がないので、また別の機会に追記するか、新たに稿を起こしたい。

*2:検索窓に「第5回」と入力すれば、関連記事が挙がってくる。

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