AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

第9回アイヌ政策推進会議での高橋北海道知事の発言について

 まず初めに、6月の後半に書く時間が取れなかったが、今夜改めて、ここで紹介した第29回政策推進作業部会の議事概要の斜め読みしていた部分を読み直していて、「今は何時代?」と思ってしまいそうな発言を紹介しておこうと思った。

来場者100万人というのは確かに達成目標として大きな目標であり、これは官房長官の御下命だからやらなければいけないことはわかっているが、それが先行し過ぎて本当にアイヌの人たちの心のふるさとになるのかが問題。(p. 14)

この後、この方は女性トイレのことを心配しておられるのだが*1、今さら、下線部が「行政のあり方」を何とかと指摘しても仕方ないか。

 第29回よりも第30回作業部会の議事概要が非常に多くのことを見せてくれているのだが、多くのことがあり過ぎてまとめる時間がない(というか、もったいない)。

 さて、1つ前の記事で引用した高橋北海道知事の発言について、読者から何か反応が来るかなと思っていたのだが、もう分かり切ったことなのだろうか、それとも興味がないのだろうか、今のところ何も来ていない。しかし、ディズニーランドに行ってミッキーマウスを本物と思い込んで帰る幼い子どもたち――「夢」を持つことは、それはそれで良いことではあろうが*2――と変わらない感想を持って帰って来たようにさえ見える高橋知事のこの発言は、「民族共生の象徴空間」の将来を非常に分かりやすく予言しているように思える。将来、北海道を訪れる外国の要人を、知事(または道庁)は「民族共生の象徴空間」に案内して、(知事の言葉をもじれば)「白老を含む北海道全体のアイヌ民族のありようを展示しているところ」を見せて、彼・彼女たちが「言葉がわからなくてもストーリーで伝わるという」「すばらしいショー」でアイヌ民族の文化や歴史を理解したのだと感動して帰国してくれる、そして次々と訪問団を送り込んでくれるというものであろう。知事は、アイヌ民族衣装を着せたテディベアーの縫いぐるみをお土産に持って行き、帰りにはフラガールの人形でも買ってきたのだろうか。

 高橋知事は「私どもも国の御指導をいただきながら」と言っているが、ハワイイのポリネシア カルチャー センター(以下、PCC)の設立と運営にアメリカ連邦政府は関係していない。むしろ面白いことは、早い時期からPCCが儲けすぎて、非課税対象としておくのはおかしいと連邦政府のIRS(国税庁)が1981年に決定して、双方で争っていたくらいである*3

 PCCは、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教会)がハワイイのオアフ島に、近くのブリガム ヤング大学のハワイイ キャンパスの学生に雇用を創出する目的で、1963年に設立したものである*4が、設立当初から、地元の共同体との問題が存在している。

 今夜はここまでとして、"Hawaiian History, Colonialism, and the Polynesian Cultural Center" (By Amanda, December 28, 2012)(ハワイイの歴史、植民地主義、そしてPCC)というブログ記事を紹介しておく。以下は、その後半部分である。

 ハワイイと米国の関係史と同様に、PCCも物議を醸してきた。まず、PCCの建設前に地元コミュニティとの協議が行われなかった。地元民は約束された奨学金を出すことはできないだろうと考えたが、実際には期待されていた以上の成功を収めたにもかかわらず、多くの地元民が不満を抱いたままである。
 ライー(La'ie)コミュニティの人々の中には、実際にはPCCは地元から資金を吸い上げていると感じている人もいた。PCCができる前には、伝統漁によるコミュニティの集まりから上がっていた収益は、地元の貧しい人々の支援に回っていた。ネックレスやその他の品をそこで売って収入を補う人々もいた。教会は、最初は、地元の人々がPCCの外で土産物を売ることを許可していたが、利益に一部を吸い上げた。収益が貧しい人々を支援するためにコミュニティに還元されることはなかった。PCCの前と後の変化について、一人の女性が「生活は、今ほどきつくはなかった」と語った。
 他の人たちは、PCCが学生から多くの時間を要求しすぎていると批判した。1980年代に、あるポリネシア人の教授は、ポリネシア人学生を図書館で見たことがないと語っていた。学生たちは、踊ったり、仕事をしたりしていた。教授は、ブリガム ヤング大学ハワイ校で、その学生たちがどんな教育を受けているのだろうかと不思議に思った。
 PCCが、ショーをより娯楽的にするために、本来のポリネシア文化を徐々に失いつつあるとの批判もあった。他の批判には、学生たちの精神性をPCCの利潤性の名の下に犠牲にしているというものもあった。彼・彼女たちは、白人の学生たちに対してはその衣服を脱ぐことを期待されていないのに、なぜポリネシア人学生は肌を露出する衣服を着ることを許されているのかと問うた。学生たちが家族団らんの夕べ(Family Home Evening)に出られるように、PCCはなぜ月曜日に休みとならないのか、あるいは、教会は熱い飲み物を禁じているのに、PCCがなぜコーヒーを出すことを決定したのかと不思議がる者たちもいた。彼・彼女たちにとって、唯一、意味をなした理由は、ポリネシア人学生たちが何らかの理由で白人学生より価値が低いというものであった。

 ここまでは、アマンダさんがBYU-Hawaiiに収集されている口承史を読んでまとめたものである。そして、続く。

 PCCを訪問した時、これらすべての問題は敷物の下に掃き込まれていた(=臭いものとして蓋をされていた)。サモアは、国の半分が米国領と見なされて、米軍に支配されている場所としてではなく、人々が常に冗談を言って、ココナツの木に登る幸せな場所として提示されていた。フィジーは、ほとんど文化的多様性のない場所であった――インド人労働者の急速な流入には言及も考慮もなかった。条約で約束された土地の返還を要求するニュージーランドマオリは、棒を使うゲームをしたりハカを踊る人々としてしか語られていなかった。PCCでのポリネシア文化の提示に驚きはしなかったが、それでもなお、それは当惑するものだった。特に、私のガイドたちがユタ州テイラーズヴィルから来た金髪の女子と韓国からの留学生であったから。提示された幸せなイメージは、私の太平洋地域の知識と一致しなかった。太平洋地域の至る所の軍やアメリカ政府と太平洋島嶼民との間の緊張した関係について知っている時に、ツアーガイドたちや戻って来た宣教師たちから何度も何度も、ポリネシア人がどんなに友好的で幸せにしているかと語られるのは奇妙なものである。

 それをもっと奇妙にしたことは、BYU-Hawaiiの教授陣の多くと学生の多くが、私が知っていることと同じ問題について知っているということである。そこの書店にはアメリカの植民地主義に関する本がある。

 私がPCCから何を期待していたのか定かではないが、そこを出た時に満足感はなかったし、少しばかり落胆していたということは確かである。

注:ライー コミュニティとPCCの間の不和が続いていることを述べておくべきだろう。マリオット ホテル チェーンが現在(このブログ記事は2012年のもの)、農村コミュニティと自らを見なしているライーに250室のホテル建設を計画中である。多くの人たちが、このホテルはハワイイの北岸の特徴(ビデオに映っている海辺)を壊すだろうと考えていて、地元の政治体にホテルを認可しないように求めてきた。ホテルは、Envision La'ieという地元の団体のもっと大きな開発の一部である。カメハメハ ハイウェーを車で走れば、多くの地元のハワイイ人たちがこの計画について感じている怒りを見ることができる。周辺地域の至る所に、人々に「ライーを田舎のままに」と求める看板がある。マリオットは教会の所有ではないが、その所有者の信仰とハワイイの外の多くのモルモン教徒のEnvision La'ie計画への関与が、多くの人々がそれと教会とを結びつける原因となってきた。

 こちらも参考にされると良いだろう。➡"The Real and the Fake: Polynesian Culture and How We Perceive It".

 最後のNoteに関係する映像:
Residents fight to 'keep the country, country' posted by KITV.

Debate over Laie land development posted by KITV.

Envision Laie - Kuleana owner from Laie speaks against developments posted by MalamaOurIslandHome.

 要するに、事前にどれだけのことを学習して行くかによって、見たものについて考えることが大きく異なるということの好例と言えるだろう。

*1:P.S. #2:第30回作業部会の「議事概要」でも、長さ130mの箱物にトイレが1つしかない、2つにせよと注文をつけている某大学副学長先生のご発言である。

*2:Cf. ランディ・パウシュ/ジェフリー・ザスロー『最後の授業』(ランダムハウス講談社、2008年). 

*3:"CULTURAL CENTER IN HAWAII FIGHTS I.R.S. TAX RULING".これは、1981年3月26日のニューヨーク タイムズ紙の記事である。

*4:ポリネシア・カルチャー・センター概要.

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