AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

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研究のために不当に収集されたアイヌ血液その他の人体組織試料のあり方の検証は行わなくて良いのか(rev.)(w/ P.S. X 2)

P.S.(2018.05.25):終盤の点線以下を書き直した。23日の最初の投稿を印字してお持ちの方は、破棄して下さい。

 第10回アイヌ政策推進会議に資料1-2として提出された「政策推進作業部会報告」(2018年5月14日:以下、「作業部会報告」)の7-8ページに「(4)アイヌ遺骨等を用いた調査・研究」という項目があり、次のように述べられている。

○ 今後のアイヌ遺骨等を用いた調査・研究の在り方については、平成29 年4月に「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル」において、「最終報告」が取りまとめられた。この「最終報告」を踏まえ、アイヌの人々と研究者が合同で設置する委員会で、研究の立案や実施が適切であるかどうか審査が行われるよう、引き続き、関係者間で検討を着実に進める必要がある。

 そのタイトルが示す通り、言及されているラウンドテーブル(以下、RT)の『報告書』*1は「アイヌ⼈⾻・副葬品に係る調査研究の在り⽅に関する」ものに限定されており、遺骨/人骨を用いる研究と血液・唾液・尿・その他の人体組織試料を用いる研究が遺伝学的・系統学的研究という重複する目的をもっているにもかかわらず、後者の研究の在り方がまったくカバーされていない。
 また、RT『報告書』では、「(2)これからの遺⾻と副葬品を⽤いた研究のあり⽅」において、このように記している。

 アイヌの遺⾻と副葬品を研究利⽤する際には、上記の基本原則に則り、当然の前提として、⼈の死に関わる問題である点に鑑みて、なによりもアイヌ⾃⾝の世界観、死⽣観を尊重することが求められる。また、アイヌの遺⾻と副葬品の慰霊と返還の実現が第⼀義であり、研究に優先されることを⼗分に理解する必要がある。
アイヌの遺⾻と副葬品の尊厳を守り、慰霊と返還の実施とともに返還請求には最⼤の配慮で応えることが第⼀義であり、研究に優先されることを⼗分に理解する必要がある。(p. 6)

 まず、この引用中の下線を施した2か所と太字で強調した部分に注目しよう。最近、ここここで、ユネスコの国際宣言(International Declaration on Human Genetic Data, 2003=「ヒト遺伝情報に関する国際宣言」とUniversal Declaration on the Human Genome and Human Rights, 1998=「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」)を取り上げて、特に「研究の自由と人間の尊厳」との優先関係について明確な政策を打ち出している後者の第10条を引用した。もう一度、引用しておく。

 ヒトゲノムに関するいかなる研究又はその応用も、特に生物学、遺伝学及び医学の分野におけるものも、個人の又は該当する場合は集団の人権、基本的自由及び人間の尊厳に優越するものではない。

 このことに鑑みて、RT『報告書』が「研究」に対する「優先」を明記したことは、このRTの背後に文部科学省が存在していることとも合わせて、重要なこととして評価したいが、それはあくまでも、RTが与えられた狭い課題の中での、「慰霊と返還」との比較の話である。それゆえに「遺骨と副葬品の尊厳」であり、今日を生きるアイヌ民族の「個人又は・・・集団の人権、基本的自由及び人間の尊厳」と「先住民族であるアイヌに対する研究」(注1)との比較においての政策表明ではない。

<補足>
 遺骨の「尊厳」への言及は、以下のように、9ページにも2回登場する。

f:id:Don_Xuixote:20180523020638p:plain

 黄色マーカーの部分は、日本人類学会と日本考古学会の研究者たちの遺骨と副葬品などの扱い方の反省の上に立ったもっともで、しかしかつ、もっともらしくもある見解である。札幌医科大学に保管されていたアイヌ遺骨の分子人類学的・遺伝学的研究とAdachi et al.論文の謝辞に言及されている北海道大学の「北方圏における人類生態史総合研究拠点」における先進技術を用いた考古学者との関係に映し出される近年の人類学と考古学の接近を考えると、「同じ場所において・・・保管・管理する」ことを無条件に賛美してよいのか、そこに隠された意図はないのかという疑問を抱かずにいられない。少なくとも今、分子人類学者と考古学者の信用はそこまで失われている。

 形質人類学者たちは、遺骨を外から観察することが目的で、またアイヌ墓地を荒らした時代にはそのための技術しか持ち合わせていなかった。従って、遺骨を外から撫で回し計測して使い果たした後は、研究者たちにとってそれは戦利品や自己のアイデンティティーの象徴、誇りであるかのように飾っておくか、段ボール箱に詰めてほったらかしにしておいても構わない物体であった。
 しかし、Adachi et al.の研究に言及するまでもなく、今日、その内部を観察することを可能とする技術の登場によって、篠田や安達らの分子人類学者は、形質人類学者に使い古されたアイヌ遺骨にDNAという物質の功利的な価値を見出し、遺骨を将来の研究のための貴重な試料とみなして、返還による再埋葬に反対し、遺骨を「不完全な死」の状態で維持することを主張してきた。
 これに対して、アイヌ遺骨の返還要求は、アイヌの死生観に言及しながら指摘されるように、墳墓からの盗掘によって死後の世界の旅を妨害されて彷徨っている遺骨の完結されていない死、すなわち、暴力的行為によって「不完全な死」の状態に無理やり置かれている遺骨の「完全な死」を可能にするための挑戦である。
 一方、先住民族(および非先住民族)の収集された血液の大半は、第2次世界大戦後の冷戦期に凍結保存技術が進展したことで、収集時からその場限りの命ではなく、冷凍保存によって「休眠」させられて、将来の研究のための「潜在的な生命」を見込まれていたと思われる。よく管理保存されている血液は、解凍され、医学や人類学などの新たな研究に再利用されている——もちろん多くの場合、被採血者の知らないところで。
 ところが、オーストラリア国立大学の事例で取り上げたように、血液試料にも「潜在的な生命」を吹き返すことなく、時代とともに変化した研究倫理と環境の中で廃棄の危険に晒されているものがある。収集された血液試料が、本来あるべき場所に還されることなく、「不完全な死」を遂げさせられようとしている例である。
 どちらの血液の場合も、植民地支配の構造とヘゲモニーの下で拒否できない脆弱な人々から収集された経緯がある。これらの血液試料の「潜在的な生命」にいかにして正当性を持たせるのか、それとも完全なまたは不完全な死を遂げさせるのか、政府は政策をもたなくて良いのか。分割された試料も含めて、現在、日本と世界のどこにどれだけのアイヌ血液が冷凍保存されているのだろうか。少なくとも1,000本は下るまいと思われる。*2 *3

*1:web公開されている『報告書』には「概要」が添付されているが、その冒頭に「先住民族であるアイヌに対する研究においては」と出て来る。『報告書』本文には出てこないようではあるが、「アイヌ対する研究」という言い回し自体に研究の在り方が露呈しているように思える。

*2:一応、血液に限定して書いたが、唾液や尿の保存サンプルについても同じことが言えるだろう。

*3:P.S. #2:「一九九六年から数年間、国際生物学事業のもとで文部省研究費補助金による日本人の遺伝的特性の調査が実施され、その中で筆者は、共同研究者の三沢章吾らとともに行った北海道日高地方における野外調査によって、アイヌ系住民約五〇〇名について種々の遺伝的多型(個人差を示す遺伝子標識)を研究することができた」と尾本恵市自らが「アイヌの遺伝的起源」(204ページ)で書いているが、これだけで約500人分のサンプルが採られているのだから。Cf. 「Japanese “Gene Hunters”(日本の「遺伝子ハンターたち」)」.

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