AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

勤務時間中にブログを読むのはやめましょう!

敗戦記念日(w/ P.S.)

 今日(9月2日)は、8月29日に東京湾に入っていた戦艦ミズーリ号上で、降伏文書の調印式が行われた日である。半年余り前に紹介した萩原猛『日本の「敗戦記念日」と「降伏文書」』(論創社、2015年)本の中でも詳しい経緯が書かれていて、確か、この9月2日を「敗戦記念日」とするべきだと主張していた。
 2日も過ぎようとしているので手っ取り早く、Wikipediaの記事から抜粋する。

大日本帝国政府および大日本帝国陸軍大日本帝国海軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊中の本艦甲板上で行われ、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダ・中華民国・カナダ・ソビエト連邦・オーストラリア・ニュージーランドが調印して、日本の降伏を受け入れた。


全ての連合国軍高官がミズーリに乗艦した。チェスター・ニミッツ海軍元帥は8:00直後に乗艦した。連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は8:43に乗艦し、日本側全権代表団は8:56に到着した。アメリカ海軍では、乗艦している最先任の海軍将官の将旗のみをメインマストに掲げると規定されているが、降伏調印式では、マッカーサーの要求で例外的に、海軍元帥の将旗だけでなく、陸軍元帥の将旗も掲げられた。


日本側代表団は、大日本帝国政府全権外務大臣重光葵大本営全権参謀総長梅津美治郎陸軍大将、随員は終戦連絡中央事務局長官岡崎勝男、参謀本部第一部長宮崎周一陸軍中将、軍令部第一部長富岡定俊海軍少将(軍令部総長豊田副武海軍大将は出席拒否)、大本営陸軍部参謀永井八津次陸軍少将、海軍省出仕横山一郎海軍少将、大本営海軍部参謀柴勝男海軍大佐、大本営陸軍部参謀杉田一次陸軍大佐、内閣情報局第三部長加瀬俊一、終戦連絡中央事務局第三部長太田三郎であった。日本側全権代表団のうち陸海軍人達は、ミズーリへ向かう船上で自ら軍刀を外していた。


9:02にマッカーサー元帥がマイクの前に進み、降伏調印式は23分間にわたって世界中に放送された。式中甲板は2枚の星条旗で飾られた。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(48州の星が描かれた星条旗)、もう1枚は1853年の黒船来航で東京湾に現れたマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物(31州の星が描かれた星条旗)である。

 この戦艦ミズーリには、前にも書いたかもしれないが——YouTubeで何かの歌の背景にブレマートン島のフェリー乗り場が映ってもいた——、ちょっとした思い出がある。上で引用したWikipediaの記事には次のように、退役した同艦の歴史が記されている。

横須賀を[1953年]4月7日に出港し、(中略)[1954年]9月15日にシアトルに到着、3日後にピュージェット・サウンド海軍工廠に入り1955年2月26日に退役、ブレマートンの太平洋予備役艦隊入りした。


ブレマートンへ到着すると予備役艦隊の最後の桟橋に係留された。この桟橋は最も陸地寄りで、1年あたり約180,000人の見学者が訪れ、人気のある観光名所となった。人々は降伏文書調印式場としてのミズーリを見学し、艦のそばには民間の土産物店などが建ち並ぶようになった。再び現役任務に戻るまで30年近い年月が過ぎた。

 私もブレマートンに停泊中のミズーリ号に乗ったことがある。調印式が行われた甲板や船内を観ることができた。そして、ど真ん中の大砲に跨って座って写真も撮ってもらった。その時には、まさかこの船が再就役して、湾岸戦争にも派遣されるなどとはまったく考えもしなかった。

 上の萩原氏の著書には、ポツダム宣言国際法文書であるにもかかわらず、戦後の日米両政府がきちんと守ってきておらず、両国政府はちゃんと履行するべきだという主張も書かれていた。

 「先住民族の権利宣言」も、拘束力がないとか何とか言い逃れをしながら、のらりくらりと履行を避けているが、大きな前例があるわけだ。

 ちょっと腹が減ってきたので、尻すぼみの感じがあるが、ここで切る。

Cf. JAPANESE INSTRUMENT OF SURRENDER, 1945.

 Japan's Surrender.

 以下は、同じく2月の中旬にこの記事の冒頭で書いていたが、後に削除した部分である。
"Japan's Unconditional Surrender (5min) TV-PG"
<画像と録音は、削除した。上のリンクから訪問して下さい。>

An NBC news report summarizes the events of August 15, 1945, when Emperor Hirohito of Japan announced that his country will accept unconditional surrender and called for a ceasefire that formally ended World War II.

"1945: Japan signs unconditional surrender"
f:id:Don_Xuixote:20180218032030p:plain
f:id:Don_Xuixote:20180218032106p:plain
Source: here.

P.S. (2018.09.03, 22:58):上記の本が見つかったので、本文で取り上げた2点について紹介する。
 まず、著者は、「日本の敗戦記念日はなぜないのか」という問いを立て、次のように論じている。

 この問題は、国家の時代区分、国際関係と深く関係する。通常、日本では天皇玉音放送による終戦の勅使表明による、「ポツダム宣言」受諾の国会意思が日本国民に明示された昭和二十(一九四五)年八月一五日正午をもって、第二次世界大戦終結の時期としてきた。そして、それ以前を戦前、それ以後を戦後として時代区分をおこなってきたのである。
 しかし、戦争は国家間の争奪戦であり、交戦当事国の一方による「一方的な宣言」だけで、停戦協定の合意なしに戦争状態の終結とはならない。
 (略)八月一五日正午現在、どの地域でも戦闘行為は継続中で、戦争はいかなる意味でも決して終わっていない。相手国との停戦成立における終戦の時期は、国際的にみても、八月一五日正午ではなく、「降伏文書」の調印が完了した九月二日である。なぜこの日を記念しないのか。終戦に続く、占領を考えさせないためか。占領に続く対米隷従を、日本国民に知らせないためか。「降伏文書」に天皇が「ポツダム宣言」を受諾したことを国民に知らせたくないためか。天皇も政府もマッカーサー連合軍総司令官の支配下にあることを隠したいためか。
 終戦記念日は一九四五年八月一五日と一般に言われているが、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」、戦没者の追悼日となっている。つまり、公的な「終戦記念日」の国家の規定はない。また、敗戦記念日はないのである。日本は、潔よく敗北を率直に認め、九月二日を敗戦記念日とすべきである。
(pp. 66-67; pp. 85-86にも同じ趣旨の主張。)

 八月一五日を「終戦の日」と呼ぶのは俗称にすぎない。前述したようにこの日は、一九八二(昭和五七)年八月一五日に、第二次世界大戦終結したことを記念する日として、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることを閣議決定し、例年、式典がおこなわれるようになった。いわゆる国民休日の公的な終戦記念日とは定めていない。(p. 85)

「降伏文書」で「一切の日本国軍隊及び日本国の支配下に在る一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏」が布告され、また「一切の日本国軍隊及び日本国臣民に対し」て「敵対行為を直ちに終止すること」が「命」じられた。この国際合意文書は、交戦当事国の双方、すなわち、日本と連合国によって取り決められ、正式に署名・調印され、直ちに発効されたのである。そうした国際関係からみて、九月二日を、日本の「敗戦記念日」と公式に定めるべきである。(p. 88)

 著者の主たる関心事の一つ、高校の教科書における記述について、次のように述べる。

「降伏文書」は、どうして教科書に全文が掲載されないのか。執筆関係者も事の重要性を認識していないのではないか。敗戦後日本の出発点であり、国際的な宣言・約束である。「カイロ宣言」、ヤルタ会談、「ポツダム宣言」の重要事項が集約されており、「ポツダム宣言の条項の誠実な履行」が強調されており、今日の領土問題に密接に関係している。
「誠実な履行」の責任は、日本だけでなく連合国にもある。統治方式で、「制限の下に置かれる」は意訳とされ、議論があるが、それらが正しくおこなわれてきたかどうか、点検は不可避である。連合国を含む署名九カ国の連帯責任を問わなければならない。そのためには、どの国が署名したのか。各条項は何となにか。教科書にその内容が記述されることなしに、「降伏文書」を知り学ぶことができない。全国民が、この事実を知り、共通の認識をもつことが国際的にも大切である。
(pp. 83-84)

 そして、本文で述べた「国際公約」という点に関しては、次の通りである。

 つまり、「降伏文書」は、従来の国際公約とは異なるがたしかに国際公約であり、それを否定することはできない。米国務省は「ポツダム宣言」に添い「この宣言は、日本国(第一項)および日本国政府(第一三項)に対し、降伏条件を提示したものであって、受諾されれば、国際法の一般規範により解釈される国際協定をなすものである」としている。米国は、この宣言を国際公約と認定している。
 無条件降伏について「降伏文書」第二項、第四項で日本国軍隊と日本国の支配下にある軍隊のみに規定し、無条件降伏の布告、命令となっている。
(略)
 このように、天皇日本国政府は除外されている。一億総懺悔の無条件降伏は、正確でなく、軍隊と天皇・政府は同一化されておらず、区別されている。
(pp. 92-93)

 なお、保管庫にしているオリジナル版ブログの関連記事機能が、ブレマートンの様子を映したYouTube映像の記事を教えてくれた! 2016年2月18日の「ノラ ジョーンズとオリンピック半島」という投稿だったが、当時、オリジナル版を限定公開版としていて、そこの読者向けに書いた記事で、ここでは公開してなかったようだ。

You can email us by stringing the blog title together and placing it before the Yahoo! Japan domain.